それはいじょうですか

人に会うことと情報を最小限に、音楽と酒と映画を楽しみ家事と子育てをなんとかやってる。坂本慎太郎の『それは違法ですか』をパクったタイトル。

二人でYouTubeで音楽トーク

母と子でYouTube見ながらバンドのイチオシの曲と、いろんな人のギター動画に興奮して楽しくなって眠くなるまで音楽トーク。落ち着いて布団に。

その前まで「俺は頭がおかしいんだ」「俺はバカでダメな、最低な、死んだ方がいい人間なんだ」「なんでこんな人間になっちゃったんだ」「生きるのは辛い」「死にたい」「でも死んだら後悔する、だって楽しいこともあるから」なんていう息子の言葉に共感しながら(私は少し違って、死ぬと後悔するほど楽しいことなんてあんまりないしいつでも死にたいけど、そんな風に息子が思えててお母さんとして嬉しい)、しばらく二人で泣いた。興奮して息子は強く泣いて、私も同じだよと自分の話を少ししながら少し泣いて。息子は「こんな話に付き合わせてごめん。俺は最低だ、死にたい。」「どうしたらいいんだ。死にたい。どうしたらいいんだ。死にたい。」なんてさんざん自分を責めて深く落ち込んで激しく泣いて。

私に似てるんだ。いつもいろいろ考えて眠れないって言う。「小学校からずっと生きてるの辛かった」って。わかる。私がそれを言うなら「ずっと死にたいと思ってた」だけど、そんな言い方をしないのは賢さと優しさかなと思う。

息子はいろんなことが人並み以上にできて、いろんな面で恵まれていて周りからは悩みがなさそうに見えるだろう。そんな人はいないと思うけど。でも彼の父親ははたぶんそんな人だ。

いつでも何があっても自分のペースを崩さない。今日もいつも通りにお風呂に入って、布団に入ってすぐに寝てしまった。ほんとに見たら寝ていた。息子の涙にたぶん傷ついてはいるだろうけど。

息子は成長して、強く頼もしくなったと思っていたが繊細な面は小さい頃と変わっていなかった。よく考えて、父親に怒られて自分の心が傷つかないように、自分を守るためにいつも我慢してやってきたんだ。

私は自分の気持ちを伝えたくていつも話が長くなり、だんなはそれを嫌がった。今回も聞くことも言葉を返すことも拒否してるように見えた。それに慣れてしまった私はそれをやめたが、また同じことを息子とやっているのを見て諦めがついた。前向きな諦め。

もう前向きな我慢と前向きな諦めしかないのか。