それはいじょうですか

人に会うことと情報を最小限に、音楽と酒と映画を楽しみ家事と子育てをなんとかやってる。坂本慎太郎の『それは違法ですか』をパクったタイトル。

古い友達の死

友達がガンで死んだ。死んだから堂々と友達って言いたい。生きてた時は自信がなくて知り合いに近い存在だった。全然会ってなかったから。ある時期いろんなことを一緒にした。家族同士でキャンプにも行った、何度も。山で迷子になった子どもをみんなで心配した。彼女の作った焼きそばに愛情をたっぷり感じた。キャンプの朝の、なんとなくおしゃれな感じになった食パンとハムとチーズと野菜の朝ごはん。彼女がいたからできた古民家での寝泊まりやカヌー遊び、手漕ぎの舟でのレース。遊びも生活も子育ても一生懸命だった彼女は、あの頃の私たち家族といつも一緒だった。居心地のいい古くて小さな家と、お母さん一人の時間を作るための狭いキッチンスペース、風通しのいい部屋と広いベランダ、手作りの味噌やパンやコンポスト。作り手の思いのこもった物ばかりの家。手間を惜しまず何もかも作っていたあの家に久しぶりに行った。

私は頭がおかしいんだろう。あの感覚を人と共有することはできないかもだ。

私の右上にいる私が「そんな頭おかしいやついない。何も喋るな」とアドバイスをくれたんだ。

でも久しぶりだし普通にしゃべりたくてしゃべった。ベッドにいたけど、思い出話もしたかったけど、それより今の話をしたかった、久しぶりだねって普通の話をしたかった。といってもほぼしゃべる相手はだんなさんで、前はなかった部屋の中に置かれた大きなステレオセットとたくさんのレコードの話や最近お見舞いに来てくれた彼女の高校時代の友達の話、昔からいるカメの話や少し前から飼い始めた数匹の猫の話。私がその時気になったことをだんなさんと話した。その途中、宅配便の人が来て『グリーンブック』のサントラCDが届いた。その映画の話をしてそのCDをかけてくれた。彼女は脳の機能に影響がでていて記憶障害があった。急に一人で話し始めた。上の子の持ち物のモチーフの話で、「〇〇は星の形がいいんじゃない?あれもいいけどこれもいいけど…」ってずっとその話を繰り返してた。わかる。お母さんの記憶って、一番大変で世話が焼けた赤ちゃんとか幼稚園とかの頃が強く残ってる。そして、お母さんは最後までその頃の子どもを思って心配するんだ。

私は変人なので、人が死ぬとその人とより近くなれるってことがあるから今もよく彼女と話しをしてる。頭の中だけで生きていたい変人なので、その家族を心配したりするけど人でなしなので何もしない。あんなことこんなこと手伝えることいろいろ考えつくのにほんとに何もしない。

そういえば、初詣のおみくじで『人のためにことをなし、徳をつめ』みたいなことが書いてあった。それを一年頭に置いて無理せず死にたくなりながらも生きていくよ。